徳山簡易裁判所 平成8年(ハ)842号 判決 1999年3月25日
原告 A野太郎
右訴訟代理人弁護士 小澤克介
被告 山口県
右代表者知事 二井関成
右訴訟代理人弁護士 平岡雅紘
右指定代理人 重冨泰雄
<他4名>
主文
一 被告は原告に対し金一万円を支払え。
二 訴訟費用は被告の負担とする。
三 この判決の第一項は、仮に執行することができる。ただし、被告において金一万円の担保を供するときは、右仮執行を免れることができる。
事実
第一請求
主文と同旨
第二事案の概要
本件は、暴行罪の被疑事実で、徳山警察署警察官により現行犯逮捕され、引き続き勾留された原告が、右現行犯逮捕の前提となる暴行行為はなく、かつ、現行犯人逮捕手続自体も存在しなかったとして、徳山警察署警察官を任用した被告に対し、国家賠償法一条一項に基づき精神的損害を請求している事案である。
一 争いのない事実及び証拠により容易に認定しうる事実
1 訴外河野恒弘(以下、河野という。)は、徳山警察署生活安全課課長であり、訴外山本和彦(以下、山本という。)は、徳山警察署刑事一課課長で、両名とも山口県警察の現職の警察官である。
2 被告は、原告を逮捕し、また、留置取調べをした徳山警察署所属の警察官の任用者である。
3 平成八年四月二一日午後一〇時四〇分ころから同四五分(時間については争いがあるが、証拠により認定)までの間、原告と河野の間で徳山市《番地省略》所在の「長崎ちゃんめん徳山バイパス店」入口付近から同店西側駐車場において争いが生じた。
4 右駐車場での両者の争いに、原告の友人である訴外B山松夫(以下、B山という。)が介入して二人は互いに相手を放した。その後、両者間には互いに身体的接触はなかった。
5 原告と河野は、前記争い後約三〇メートル離れた周陽二丁目のバス停に移動し、同バス停近くの電話ボックスから河野が徳山警察署に行くため車の手配をし、約三、四分後(時間については争いがあるが、証拠により認定)に警ら用無線自動車(以下、パトカーという。)が到着した。
6 パトカーは、赤色灯を点灯していなかったし緊急用サイレンも吹鳴させていなかった。
7 パトカーには、制服を着た警察官三名が乗車していたが後部座席に乗車していた一名が下車し、後部座席に原告、警察官、河野の順に乗り込み、同パトカーは午後一一時少し前に徳山警察署に到着した。
8 徳山警察署に到着したパトカーは、原告と河野を降ろしてそのまますぐに市中に向けて出発した。
9 原告は、徳山警察署到着後翌二二日の午前一時二〇分ころ(この時間についても争いがあるが、証拠により認定)同署内のトイレに行った。
10 原告は、徳山警察署到着後、所持していた携帯電話で数度外部の人と通話した。
11 原告は、同年四月二二日午前四時〇三分(この時間についても争いがあるが、証拠により認定)に徳山警察署の留置場に留置された後勾留されたが起訴されず釈放された。
二 主要な争点
1 本件逮捕の実体要件である原告の河野に対する暴行の事実の存否
(原告の主張)
(1) 原告と河野は、約五分間お互いの胸倉をつかみ合っていた。B山が二人の争いに気付き仲裁に入った。原告は、B山の肩越しに河野のえりを掴もうとしたとき、原告の指が河野の顔のあたりに当たった。
(2) 河野は、仲裁に入ったB山の胸を「ドン」と音がするほどの勢いで突き飛ばし、河野とB山の間で口論が始まった。
(3) したがって、本件逮捕の実体要件である原告の河野に対する暴行の事実は存在しない。
(被告の主張)
(1) 河野が勤務終了後に、食事のため「長崎ちゃんめん徳山バイパス店」を訪れ、食事を済ませ同店を出た同年四月二一日午後一〇時四〇分ころ、同店内にいた原告と目が合い、原告に挨拶しようと引き返した。
原告は、過去に売春防止法違反で河野から逮捕取り調べを受け、不起訴となったことについて「以前、わしが無実の罪で捕まり、新聞やテレビに出され、女房にも逃げられた。」等と言った。河野は、「根拠があって逮捕したものであり、今日は忙しいので帰る。」と言って立ち去ろうとしたところ、原告は、河野の上着の胸や腕を握って離さず「ここで一言無実の罪で逮捕して悪かったと謝れ。」等と執拗に強要した。河野は、「令状を得て逮捕したことだから謝る必要はない。手を離せ、その件については、署においで、そこで話そう。」と拒否し、両者が押し問答となった。
(2) 河野と原告が、同店西側の駐車場で押し問答をしているところへB山が来て、原告に何をしているか尋ね、原告がB山に「わしを昔無実の罪で逮捕した時の刑事だ。」と答え、河野に更に執拗に謝罪を要求した。
河野は、「根拠があって逮捕した。謝ることはできない。」と言ったところ、同日午後一〇時四五分ころ、原告がいきなり河野の左顔面(左耳上部)を手拳で殴ったものである。
2 河野の逮捕行為の存否及び適法性、逮捕行為の存在が認められた場合その効力
(原告の主張)
(1) 河野は、同年四月二一日午後一〇時四五分に原告を現行犯人として逮捕し、同日午後一一時〇五分に徳山警察署司法警察員に引致したとするが、右逮捕行為、引致ともに実体を欠いて存在しない。
仮に、右現行犯人逮捕が存在するとしても、逮捕とは、「物理的な力によって身体を拘束すること」であるところ、本件については、逮捕後の原告に対する「身体の拘束」はなかったものである。
(2) すなわち、原告は、河野が「警察に行って話をしよう。」と言うので、警察で話の決着をつけるつもりで、河野に対し「わしの車で警察に行って話をしよう。」と提案したところ、河野が「車を呼ぶからそれで行こう。」と提案したので、原告は同意した。
(3) 河野は、やって来たパトカーから下車した警察官に「チョット乗せて」と言い、「A野さん、これで行こう。」と誘った。その間原告の「身柄の拘束」はなかった。
(4) 本件は、河野の非番のとき私人である河野と原告との間に発生したものであり、河野が警察権限の遂行者として原告を現行犯人逮捕したのは違法である。
(被告の主張)
(1) 河野は、原告にいきなり右手拳で左耳の上を殴られ、更に殴られないように両手で原告の両手を握って原告の行動を制止した上で「お前、俺を殴ったのお、現行犯じゃ、逮捕する。四五分ぞ、署へ行こう。」と言って、原告の腕を握って逮捕し徳山警察署へ連行しようとしたところ、B山が両者の間に割って入り「手を離し、手を離し」と言って河野の手を押さえつけるので、原告の手を離した。
(2) 河野が原告の手を離したとき、原告は、河野の位置から約二メートル位離れていたので、河野は、逃げられてはいけないと思い「わしは、手を離した。A野、逃げるなよ、殴ったことは事実じゃけい。署に来い。」と言ったところ、原告も「よし、行こう。」と言ってこれに応じた。
(3) 河野は、原告を徳山警察署に連行するため近くの公衆電話ボックスから同警察署へパトカー派遣を要請した後、原告に逃げられてはいけないと思い、原告のところへ行こうとしたところ、B山が「社長に近づいてはいけん。」と言って河野に体当たりをしてきたので、河野は三度目の体当たりをされた時「喧嘩をしやせん。邪魔するな。」とB山の胸を両手で押して妨害行為を制止したものである。
河野は、仲裁に入ったB山を突き飛ばしたのではなく、逮捕行為を妨害するB山の行動を制止したものである。B山は、河野の制止行動に対して「お前、俺を殴ったのお。」と言っていたが、河野が、「殴ったのではない、お前が体当たりをするから制止した。」とを言うと、B山は、「訴えるぞ、いいか。」等と言ったものである。
(4) 原告が河野を殴ったので、河野は、原告を現行犯逮捕し、その後、B山の妨害行為で原告の両腕を離したが、その際原告に対し「A野逃げるなよ、警察署に来い。」と告げたものであり、原告が「警察署に行って話をしよう。」と言ったことはなく、河野が原告を逮捕後、タクシーで連行しようとしたがタクシーがつかまらないので付近の公衆電話から同警察署へ架電しパトカーの派遣方を要請したものである。
(5) パトカー乗務員は無線で暴行被疑者を警察署に連行せよとの指示を受けてこれを了解していたので、河野は、乗務員に「この男を署に連行してくれ。」と言い、原告には「パトカーに乗れ。」と言ったのであり、原告をパトカーに乗るように誘ったのではない。
(6) 河野は、勤務を終了した後勤務を離れていたが、河野自身が被害を受けた者であり、所轄管内の暴行事件の発生について警察官として警察法二条一項に定める一般的権限及び刑事訴訟法一八九条二項に基づく犯罪捜査の職務を執行したものである。
3 逮捕行為に引き続く引致取調べ等の効力並びに違法性の有無
(原告の主張)
(1) 河野は、平成八年四月二一日午後一一時五分に原告を徳山警察署司法警察員に引致したとするが、右引致は実体を欠いて存在しないし、弁解録取もされなかった。
原告は、翌二二日午前四時〇三分から事実上拘束(留置)され、それに続き勾留されたが、右勾留は逮捕の前提を欠き違法である。
(2) 徳山警察署に到着したパトカーからは、原告が一番最初に下車し、河野の下車を待つまでもなく二階の刑事課に上がった。
(3) 原告は、徳山警察署刑事課内において同署刑事第二課巡査部長兼田芳昭(以下、兼田という。)に河野との喧嘩の経緯を説明した。
事情聴取の間、原告は自由に刑事課内を歩き回ることが出来た。
(4) 原告は、二二日の午前一時三〇分ころ、トイレに行くため部屋を出るときに兼田に「河野はなにをしているか。」と尋ねたところ、「今河野がお前の逮捕の書類を書いているので、今ではないが、あとで逮捕することになっている。」と教えられた。
(5) 原告は、二二日の午前一時二八分ころ、警察署から三度目の電話を防府市の兄に掛け、四四分二二秒間話をした。また、同日の午前二時四九分〇二秒から四度目の電話を前記兄にした際、兼田が右携帯電話で兄と話をした。
(6) 二二日の午前四時半過ぎになって、原告は、兼田から「暴行容疑で逮捕する。」と告知され、原告は身柄を拘束されたが、犯行現場と距離的に離れた場所で、しかも六時間も経過した後に、事件とは全く関係のない刑事に現行犯逮捕できる権限はなく、山本は部下に右違法逮捕をさせたものである。
(被告の主張)
(1) パトカーから一番先に下車したのは河野である。河野は、パトカー乗務員の後に下車した原告を待って原告を先に歩かせて徳山警察署内に入り、原告に付き添って二階の刑事課に上がった。
(2) 河野は、四月二一日当日当直勤務中であった兼田らに逮捕経緯を説明した後、同日午後一一時〇五分に原告を兼田に引致した。
兼田は、原告に弁解の機会を与え、弁解録取書を作成しようとしたものであり、河野との喧嘩の経緯の説明を受けたものではない。
(3) 原告は、トイレに行く際に、河野が刑事課内で現行犯人逮捕手続書を作成しているのを目撃して、原告の監視のため付き添っていた兼田に対し、「河野課長もわしに暴行を働いたので逮捕しろ、河野課長はどうしているのか。」等と質問したので、兼田が「河野課長は、お前の逮捕の書類を書いている。」と答えたものである。
(4) 兼田他の刑事による原告の取調中に、原告が携帯電話を取り出し通話をはじめたので兼田らは止めるよう強く説得したが、原告はこの制止を振り切り電話をしたものであり、自由に電話ができたものではない。
(5) 原告に対する取調べが終了したので、徳山警察署当直員は、原告を同警察署留置場に留置するため、原告を留置場に連行し、午前四時〇三分に留置したものである。
取調終了時に、兼田は原告に対して「今から留置場に入れる。」と告げたが、「暴行容疑で逮捕する。」と告知してはいない。
(6) 山本は、公舎に在宅中の午後一一時一〇分ころ、河野から同人被害の暴行被疑事件で原告を現行犯逮捕、引致した旨の電話報告を受けたため、その事件を指揮すべく、午後一一時二〇分ころに徳山警察署に出署したものである。河野は、前記のとおり現行犯人逮捕手続書を逮捕事実に基づいて作成したものであり、原告の逮捕は不法行為に当たらない。
4 原告の損害
(原告の主張)
原告は、右河野らの違法行為により、現行犯人逮捕の理由もなく、かつ、現行犯人逮捕の事実そのものが存在せず、その他の逮捕手続も存在しないのにその身柄を拘束され、情を知らない検察官による勾留請求、情を知らない裁判官による勾留の裁判により、逮捕前置のない違法な勾留を約一八日間受け、このため著しい精神的・肉体的苦痛の損害を受けた。その額は、少なくとも金一万円を下らない。なお、原告は、河野の暴行により胸部打撲の傷害を受けた。
第三当裁判所の判断
(以下の認定事実は、当事者間に争いのない事実及び弁論の全趣旨並びに証拠により認められた事実による。)
一 争点1について
1 原告は、平成八年四月二一日に下関市で開催された極真空手道選手権大会に参加した帰りに一緒に行ったB山ほか二名の友人と食事をとるため、同日午後一〇時三〇分ころ徳山市《番地省略》に所在する「長崎ちゃんめん徳山バイパス店」に入った。
2 河野は、同日、勤務終了後に、食事をとるために「長崎ちゃんめん徳山バイパス店」に立ち寄り、午後一〇時四〇分前ころ、食事を済ませて同店を出たところ、店内にいた原告と目が合った。
3 河野は、以前山口県警察本部防犯部防犯課に勤務していたとき、原告を売春防止法違反容疑で逮捕取り調べたことから、原告とは面識があり、原告が席を立って河野と話がしたいように見受けられたので、河野も徳山警察署に転勤になったことから、一言挨拶をしておこうと思って引き返した。
原告と河野は、丁度同店入口で両者相対する形になった。
4 河野は原告に対し、「やあ元気かね、今度徳山署に勤務するようになったのでよろしく。」と言ったところ、原告が「そうかね、徳山の暴力団が堂々と売春しているので捕えやあ。」と言うので、河野は、「わかった、その話は署で聞くけい、また署においでいやあ。」と言って帰ろうとした。
原告は、「ちょっと待ち、以前わしが無実の罪で捕まり新聞やテレビに出され、女房にも逃げられた。お陰でわしは再婚して子供ができたが……」と言ったので、河野が「そうかね、また署で話そういね、わしは今日は忙しいから。」と言って帰ろうとしたら、原告がいきなり河野の上着の胸ぐらを掴んで引っ張るので、河野は、「何をするのか、そんなことをすると公務執行妨害になるぞ、つまらんことをするな。」と言った。
原告は、「ちゃんめんを食うのが公務か、わしが無実の罪で捕まってどれだけ苦労したか、わかっているかねえ。」と言い、河野は、「手を離し、その件については、立ち話もなんじゃけい、署へおいで、そこで話そう。」と言ったところ、原告は「いや、わしは絶対許さん。ここで一言謝り、そしたら許すけい。」と執拗に迫るので、河野は、「あの件は、根拠があって、裁判官の令状を得て逮捕したことだから謝る必要はない。今日は忙しいから、また署に来て話そう。」と言って帰ろうとした。
原告は、河野の腕を握って離そうとせず、そのままの状態で、約一〇メートル離れた同店西側の駐車場まで行った所で、再度原告は、「あの時の女も店の者も、わしが売春をやらせていたとは言っていないと言っているぞ、なんなら連絡しようかあ。」と言うので、河野は、「そんなことはない。ちゃんと根拠があって逮捕したことで、取り調べるとき、その根拠を話して追求しているだけだろうが、どちらにしても今日は忙しいから帰るぞ。」と言って河野が再度帰ろうとした。原告は、なお河野の腕を握って離そうとせず、「ここで一言無実の罪で捕まえて悪かったと謝れ。」と重ねて執拗に強要した。
5 河野は、「そんなことはできん、起訴猶予になったが、容疑は十分にあった事件だから、」等言い、二人が押し問答しているところへ、B山が来て、「社長なにをしよってんかね。」と原告に聞いたところ、原告は河野を指して「わしが昔無実の罪で捕まったときの刑事いや。」と答えると、B山は、「その話は社長から聞いている。あんたは警察の権力によって無実の者を捕まえてもええのかあ。」と言い、二人して河野を追求した。
河野が「根拠があって、法に基づいてやったことだから、根拠もなく逮捕ができるわけがないじゃないか。A野に恨みがあるわけじゃないし。」と言うと、B山と原告はこもごも「警察はそんなことでいいのかあ、無実の者を捕らえて、権力の濫用だ、謝れ。」と、執拗に迫り、河野が「謝ることはできん、法に基づいてやったことだから。」と言ったところ、原告がいきなり右手拳で河野の左耳の上を殴った。(この点に関するB山の証言は、乙一四号証、二六号証と対比して明らかに虚偽の陳述であることが認められる。)
その点について、原告は、「B山の肩越しに河野のえりを掴もうとしたとき指が河野の顔のあたりに当たった。」と弁解するが、前記認定の証拠と対比してにわかに信用できない。
6 以上のとおり、本件逮捕の実体要件である原告の河野に対する「右手拳で河野の左耳の上を殴った。」暴行行為が存在したことが認められる。
二 争点2について
1 前記暴行を受けた河野は、原告の手を制止して「お前俺を殴ったのお、現行犯じゃ逮捕する。四五分ぞ、署へ行こう。」と原告の両手を握って原告を暴行の現行犯人として逮捕した。
原告は、「おお、分かった。そんならええ、逮捕せいや。今から、徳山署でもどこでも連れて行けいや。」と応答した。
2 前記暴行行為に至るまでの間、河野も原告も相当興奮しており、お互いに胸ぐらを掴み合うような状態であった。(この点に関する河野の証言は、信用できない。河野自身後記7で認定のとおり「喧嘩をしやせん。邪魔をするな。」と暗に両者が喧嘩状態にあったことを認めている。)
3 逮捕時において、河野は、原告の身体検査もしなかったし、手錠も持っていなかったので手錠を掛ける等の物理的拘束はしなかった。
4 河野が原告の腕を握って徳山署へ連行しようとしたところ、B山が間に入って原告の連行を邪魔したので、河野は原告の手を離し「A野逃げるなよ、殴ったことは事実じゃけい、署へ来い。」と言い、それに対し、原告は「よしわしの車で行こう。」と言ってこれに応じた。
5 河野は、被疑者の車で徳山警察署に原告を連行するわけにはいかないのでタクシーで連行しようと思い、周陽の公団社宅前のバス停まで原告を連行したが、タクシーがつかまらなかったので、近くの公衆電話ボックスのところまで連れて行って、原告が逃亡しないよう監視をしながら徳山警察署へ電話連絡して当直員にパトカーの派遣を依頼した。
6 河野が徳山警察署へ架電している間、原告は、約七メートル離れたバス停のベンチに座っていたが、その間原告は所有の携帯電話で架電した。
7 パトカーの到着を待つ間、原告が逃げてはいけないと思って、河野が原告の側に行こうとしたところ、B山が「社長に近づいてはいけん。」と言って河野に二度左肩で体当たりしてきた。河野が「喧嘩をしやせん。邪魔をするな。」と言ってB山の胸のところを両手で制止したところ、B山は「お前俺を殴ったのお」と言って更に体当たりをしてきたが、河野は「殴ったんではない、お前の方の体当たりの方が、ひどいじゃないか。」と言ってB山の体当たりを止めた。
側にいた原告の仲間である若い女性と原告が口々に河野に対し「お前も殴ったじゃないか、警察官が殴っていいのか。」と言うので、河野が「殴ったんじゃない、お前が体当たりするから制止しただけじゃ。」と言い、B山は「訴えるぞ、いいか。」と言い、河野は「わかった。」と言ってパトカーが来るのを待った。
8 B山の前記行動に対し、河野は公務執行妨害罪でB山は逮捕していない。
9 パトカーは、一〇時五〇分ころ周陽の公団住宅前のバス停に到着した。パトカーには三人の警察官が乗車していたが、河野は、転勤してきて一か月後のことでパトカーを運転していた原田巡査以外の警察官は知らなかった。
10 パトカーは、赤色灯も点滅させずサイレンも鳴らさずに現場に到着した。パトカーからは、助手席と後部座席の警察官が降りてきたが、河野は警察官に対し、被逮捕者が誰であるかは告げなかった。
11 河野は、原告に「乗れ」と言って、パトカーの後部座席の運転席の後ろに原告を乗せ、ついで若い警察官の順で乗り、河野は助手席の後ろの座席に乗車した。若い警察官を原告の次に乗せたのは、河野と原告の間に再びトラブルが発生するのを防ぐためであった。
12 河野が非番であったことは前記のとおりであるが、警察官は、刑事訴訟法一八九条により、犯罪があると思料するときは、捜査をすることができる。このことは警察官が非番であると否とに係わらず所轄管内に犯罪が発生した場合は右権限を行使することができると解するのが相当であり、本件は、河野がその所轄管内で被害者となった事件について警察官として現行犯人逮捕したものであって右逮捕は適法である。
13 以上によると、原告の河野に対する暴行行為に対する適法な逮捕行為があったことが認められ、前記認定のとおり、原告に逃亡の意思はなく、かつ、河野においても原告が逃亡しないように監視していたのであるから、前記逮捕に基づく「身柄の拘束」は継続していたと解するのが相当である。
三 争点3について
1 パトカーは、三、四分後に助手席側が徳山警察署の玄関に着く状態で停車した。最初に河野が降車し、次いで助手席の警察官が降車し、河野は後から下車した原告を先に歩かせて徳山警察署内に入り、原告に付き添って二階の刑事課に上がった。
2 原告は、刑事課で「わしを逮捕するんなら、河野も逮捕しろ。」等大声で叫んでいた。
3 河野は、原告を空いている第四取調室に入れた。
4 兼田は、そのとき変死事件の書類を作成していたが、河野より原告の引致を受けた。その時間は、約一分足らずであった。
5 原告は、二二日の午前一時二〇分ころトイレに行く際に、河野が刑事課内で現行犯人逮捕手続書を作成しているのを目撃して、原告の監視のため付き添っていた兼田に対し、「河野課長もわしに暴行を働いたので逮捕しろ、河野課長はどうしているのか。」等と質問したので、兼田が「河野課長は、お前の逮捕の書類を書いている。」と答えた。
6 原告は、平成八年四月二二日午前四時〇三分に身体検査をされた後徳山警察署の留置場に留置された。
7 一方、《証拠省略》によると、河野は、平成八年四月二一日午後一一時〇五分に原告を徳山警察署司法警察員に引致した旨の記載がある。そこでこの点について検討する。なお、本件被疑事実の要旨は別紙(以下、本件被疑事実という。)の通りである。
(1) 河野は、第八回口頭弁論期日の証人調書188項で裁判官の「具体的にどのような言葉で引致しましたか。」との質問に対し、「『長崎ちゃんめんの所で、以前の事件のことで謝れと言われたが、謝らんと言ったらいきなり殴られた、殴られたから現行犯逮捕を告げて逮捕して連れてきた、それで今あそこにおる。』と言いました。」と答えた。この点について引致を受けた兼田は、第一二回口頭弁論期日の証人調書62項で原告代理人の「具体的に、どのような説明を聞きましたか。」との質問に対し「先程、周陽の長崎ちゃんめんの前で、胸ぐらを掴まれて左耳の上の辺りの頭を一回殴られた。それで現行犯逮捕をしてきた。」と供述している。
一方、乙一〇号証二項後段によると、
「私と今村刑事は、河野課長から「先ほど、長崎ちゃんめんで胸倉を掴まれ頭部を殴られ暴行の被害を受けたので現行犯逮捕してきた。」とA野から暴行を受け現行犯逮捕した事実の説明を受け、午後一一時〇五分、私は、河野課長からB山を被疑者として引致を受けました。」
との記載があり、その内容は、犯罪場所、暴行の態様の点についてそれぞれ矛盾があり、かつ、本件被疑事実とも矛盾する。
(2) 被疑者の引致を受けた司法警察員は、被疑者に対し、「直ちに犯罪事実の要旨……を告げた上、弁解の機会を与え……」(刑事訴訟法二〇三条一項)なければならないが、逮捕状による逮捕の場合は、添付の被疑事実を被疑者に読み聞かせることができるが、現行犯逮捕の場合は、被疑者の引致を受けた段階で被疑事実の要旨を記載した書面が存在することは、時間的に事実上不可能である。本件についても、河野が、乙一号証の現行犯人逮捕手続書を完成したのは徳山警察署に到着してから約三時間後であったことが認められ、添付の本件被疑事実もその頃作成されたものと推認される。
(3) 甲九号証(弁解録取書)には、当日の午後一一時一〇分ころに、現行犯人逮捕手続書の犯罪事実を告げたとあり、その一項には、「私は、只今刑事さんから読んでもらいましたように、今晩河野さんという刑事の服の胸ぐらをつかんで、暴力をふるったことは間違いありません。」との記載がある。兼田は、右記載は原告の述べたままを記載したが、原告は署名を拒否した、と供述する。
(4) 本件で兼田は、河野から犯罪事実の要旨を告げられたとするが、その時間は前記認定のとおり一分足らずであり、その内容も前記認定のとおり極めて曖昧である。
そして、甲九号証の記載内容を見れば、兼田は、弁解録取の際、被疑事実を記載した書面を読んだことになっており、この段階では本件被疑事実は未だ作成されていなかったことは、前記認定のとおりであるから、兼田が原告に読み聞かした書面は右とは別の書面であることになる。甲九号証の文面からすると、兼田は原告に対し、本件被疑事実とは異なる暴行内容である「河野の胸ぐらを掴んだ」ことを内容とする書面を読み聞かせたことになり、そうすると、被疑者である原告に対し、本件被疑事実は告知されなかったと解さざるを得ない。
8 兼田は、引致を受けて原告の身体検査をしていない。この点について、兼田は、前記証人調書110項、111項の裁判官の「一般に、引致を受けた司法警察員は、身体検査をしたり、証拠物の引き渡しを受けるなどするのではありませんか。」との問いに「普通はそうですが、私は本件についてはしていません。」と答え、「なぜしなかったのですか。」の問いに「既に他の人がしていると思いましたので。」と答えている。
一方、乙一〇号証三項には、
私が、A野の取調べを行うこととし、今村刑事が河野課長から事情聴取することにしました。
通常であれば、被疑者を取調べるに当たり取調室に入れた際に、危険防止及び証拠隠滅防止のために被疑者の持ち物を出させ、服の上から身体の検査をしますが、A野が空手をやることを知っていましたので、A野を刺激して暴れては収拾がつかなくなると思いA野の服の上から軽く触って身体検査を終わらせました。
と記載があり、証人供述と矛盾する。
9 原告は、徳山警察署の取調室から平成八年四月二一日二二時五九分一五秒から一三秒五間、同日二三時二分五六秒から四四秒間、翌二二日一時二八分二三秒から四四分二二秒五間、同日二時四九分二秒から二分四三秒間それぞれ外部に自己の携帯電話で架電している。四回目の架電の際には兼田は原告の兄と電話で直接話をしていることが認められる。なお、三回目の四四分余の架電については、原告が警察官とのやり取りを兄に録音するよう依頼し、録音のために架電状態にしていたものと認めるのが相当である。
被告は、右架電に対し、原告は自由に架電できたものではなく、兼田は止めるように強く説得したが、携帯電話を無理に取り上げれば、原告は空手の有段者であり暴れられると困るから、あえて無理に携帯電話を取り上げなかった、と弁解し、それに副う兼田の供述も存在するが、元来警察は不法な暴力行為を制圧するところであり、取調室には兼田のほかに西村刑事も同席しており、他に署内には当直の警察官も多数いたのであるから、原告を被疑者として取調べているのであれば、応援を頼んでも外部との架電を制止し、電話機を取り上げるべきであったにも係わらずこれをしなかった。
以上のとおり、この点に対する被告の前記弁解は弁解自体不自然であり、前記認定の状況からすれば、原告は、自由に外部に架電できたと解するのが相当である。
10 被疑者の弁解を聞くことは、逮捕に引き続き被疑者を留置する必要があるか否かを判断する前提としての手続であり、被疑者に対しては被疑事実の日時、場所、手段、方法等告知し、弁解を録取する必要があるところ、本件においては被疑者の弁解を録取するに際し、前記認定のとおり本件被疑事実の告知がなされておらず、本件現行犯人逮捕について被疑事実の告知がなされたとしても極めて杜撰なものであったと認めざるを得ない。そうすると、弁解録取がなされたとする段階で本件現行犯人逮捕手続は違法であり、右逮捕に基づく原告の「身柄の拘束」の理由は消滅したと解するのが相当であり、直ちに釈放すべきである。
仮に、右逮捕手続を違法とする見解が相当でないとしても、犯罪捜査は密行性を要するところ、被疑者が取調べ警察官の同席する警察の取調室から自由に、それも数回にわたって外部に長時間架電したことは強制捜査の体裁をなしておらず、外部に自由に架電した段階から被疑者の「身柄の拘束」はなされていなかったものと解するのが相当であり、原告は釈放されるべきである。
四 争点4について
原告の右違法留置による精神的損害が金一万円を下らないことは、弁論の全趣旨により認めることができる。
なお、原告は、河野の暴行により傷害を受けたと主張し、それに副う診断書があり、写真撮影もなされているが、同写真の衣服も傷害に対比して乱れておらず、もし、逮捕時までに右傷害を受けていたのであれば、B山の証言や調書にその事実が現れるべきところこれを発見できず、右傷害が本件に起因するかは極めて疑わしい。
第四結論
以上のとおり、本件においては被疑者である原告に対し、適法な弁解の機会を与えず、かつ、一旦身柄の拘束から解放された後である平成八年四月二二日午前四時〇三分に本件現行犯人逮捕手続に基づいて原告を留置したことは、違法の誹りを免れず、原告を留置する必要があれば再度適法な逮捕手続によるべきである。
よって、主文のとおり判決する。
(平成一一年二月二五日口頭弁論終結)
(裁判官 澤根一人)
<以下省略>